ガリレオ・ガリレイは何した人?「近代科学の父」が残した影響や功績

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ワンダー 1

公開日2025.11.17

「ガリレオ・ガリレイ」という名前を聞いたことはありますか?彼は「近代科学の父」とも呼ばれる、歴史上とても有名な科学者です。今から400年以上も昔に、宇宙の不思議や物が動くときのルールについて、たくさんの重要な発見をしました。 この記事では、「ガリレオって、一体何をした人?」「どうしてそんなに有名なの?」という疑問に分かりやすく答えていきます。彼の発見や人生を一緒に見ていきましょう。

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ガリレオ・ガリレイとはどんな人?

ガリレオの功績をより深く知るために、まずは彼がどんな人で、どんな時代に生きていたのかを見ていきましょう。

生まれと時代背景

ガリレオ・ガリレイは、1564年にイタリアのピサという街で生まれました。音楽家の家に生まれたガリレオは、子どもの頃から数学や芸術の才能がありました。

彼が生きていた時代の科学の世界では、大昔のえらい学者アリストテレスの考えが「絶対に正しい」と信じられていました。人々は昔のえらい人が本に書いたことを、そのまま信じるのが当たり前の時代だったのです。

学者としての歩み

ガリレオは最初、父親の勧めでピサ大学に入って医学を学び始めました。
そして、次第に数学や物理学の面白さに夢中になっていきました。
大学を途中でやめた後も研究を続け、その才能が認められてピサ大学やパドヴァ大学で数学の先生になります。そこでガリレオは、学生たちに数学や天文学を教えながら、たくさんの実験や観察に熱中しました。このコツコツ続けた研究が、のちの大きな発見につながったのです。

「近代科学の父」と呼ばれる理由

ガリレオが「近代科学の父」と呼ばれる大きな理由は、それまでの「学問のやり方」をガラッと変えたからです。

昔は、えらい学者が「こうだ」と言ったことは、だれもが正しいと信じていました。
しかし、ガリレオは「本当にそうなの?」と疑問を持ち、「自分の目で見て、試して、確かめる」ことを大切にしました。

このやり方こそが、今の科学の基本になっています。ガリレオは、この科学の新しい考え方を広めた科学者だったのです。

ガリレオ・ガリレイは何をした人なの?

それでは、ガリレオ・ガリレイが具体的に何をした人なのか、彼の有名な功績や出来事を見ていきましょう。これらの発見は、当時の人々の考え方を大きく変えることになりました。

望遠鏡を改良し、木星の衛星などを発見した

オランダで望遠鏡が発明されたと聞いたガリレオは、その仕組みを自分で考えて、もっと性能の良い望遠鏡を作り上げました。そして望遠鏡を夜空に向けて、それまで誰も見たことのなかった宇宙の姿を次々と発見します。

月の表面:昔の人は月とはツルツルでボールのような天体だと信じていました。しかし、ガリレオは望遠鏡で月を見て、表面はでこぼこで、地球のように山や谷があることを見つけました。

木星の衛星:木星のまわりを、4つの小さな星がぐるぐる回っていること(衛星)を発見しました。地球以外の天体のまわりを回る星があるという、初めての証拠でした。4つの星は、今でも「ガリレオ衛星」と呼ばれています。

金星の満ち欠け:金星が月のように満ちたり欠けたりする様子を発見しました。この見え方は、金星が地球のまわりではなく、太陽のまわりを回っているからこそ起こる現象でした。

太陽の黒点:太陽の表面にある黒いシミ(黒点)が、毎日少しずつ位置を変えて動いていくことを発見しました。この観察から、太陽も地球と同じように自転していると考えました。

これらの発見は、当時の人々が信じていた「宇宙の中心は地球で、太陽や星はすべて地球の周りを回っている」という考え方(天動説:てんどうせつ)は、もしかして間違いではないか?と考える大きなきっかけになりました。

物を落とす実験で「落体の法則」を発見した

ガリレオは、物が落ちるときのルールについても大きな発見をしました。

有名な話に「ピサの斜塔の実験」があります。これは、ガリレオがピサの斜塔の上から重い鉄球と軽い鉄球を同時に落とし、「重さに関係なく、物は同じ速さで落ちる」と証明したという話です。(※ただし、この話はガリレオの弟子が作った物語だともいわれ、実際には坂道でボールを転がす実験をくり返したと考えられています。)

この「落体の法則」の発見は、すべての物が同じ自然のルールに従って動くことを示し、後のニュートンによる「運動の法則」の発見へとつながる、とても重要な一歩でした。

地動説を支持して裁判を受けた

ガリレオの発見は、コペルニクスという天文学者がとなえた「地球が太陽のまわりを回っている」という「地動説(ちどうせつ)」が正しいという、強力な証拠になりました。

しかし、この考えは「宇宙の中心は地球だ」と教えていた、当時のカトリック教会の教えに反していました。

ガリレオは自分の考えをまとめた本を出版したことで、ローマの宗教裁判所に呼び出されてしまいます。そして裁判の結果、「地動説は間違いだ」と認めさせられ、家から出てはいけないという罰を受け、残念ながら残りの人生を家の中で静かに過ごすことになりました。

ガリレオの発見が残した影響

裁判で罰せられたガリレオですが、彼の発見と科学的な考え方は、人々の世界の見方を変え、今の科学が発展するための土台となりました。

天文学を大きく進歩させた

ガリレオが望遠鏡という「新しい目」で宇宙を観測したことで、天文学は大きく進歩しました。それまで人々が想像するしかなかった宇宙の姿が、観察できる「事実」となったのです。彼の観測結果は、ヨハネス・ケプラーをはじめとする天文学者たちに影響を与え、さらなる発見へとつながっていきました。

今の物理学の基礎を築いた

物が動くルールについてのガリレオの研究は、今の物理学のスタート地点です。彼が見つけた「落体の法則」や、「一度動き出したものは、じゃまされなければそのまま動き続けようとする」という「慣性の法則」につながる考え方は、私たちの身の回りにある乗り物や機械が動く仕組みにも応用されています。

科学的な考え方を広めた

ガリレオのすごさは個々の発見だけでなく、「科学に向かう姿勢」を示したことかもしれません。

「昔のえらい人が言ったから正しい」のではなく、「自分の目で見て、実験で確かめた事実だけを信じる」。

このだれが見てもわかる証拠を大切にする考え方は、ガリレオによって広められ、今のあらゆる科学研究の基本となっています。

ガリレオ・ガリレイの豆知識

最後に、ガリレオ・ガリレイについて、いくつかの豆知識を紹介します。

「それでも地球は回っている」という言葉は本当?

裁判で地動説をあきらめるように言われたガリレオが、最後に小さな声で「それでも地球は回っている」とつぶやいた、という話はとても有名です。

しかし、実はガリレオが本当にそう言ったという証拠はありません。後の時代の人々が、「真実をあきらめないガリレオの強い心」をたたえて作った物語だと考えられています。

ガリレオの発明した道具

ガリレオは望遠鏡を「発明」したわけではありませんが、自分でレンズをみがいて、星の観察に適した道具へと「改良」しました。ほかにも、水の温度でガラスの球が浮き沈みする温度計の原型(サーモスコープ)や、大砲の弾がどこまで飛ぶか計算するための道具なども作っています。

ガリレオの功績が広く認められたのはいつ頃?

ガリレオが正しかったことは彼の死後、ニュートンなどの科学者の活躍によって証明されていきました。
しかし、ガリレオを罰したカトリック教会が、正式に「あの裁判は間違いでした」と認めたのはずっと後の1992年です。当時のローマ教皇がガリレオの名誉を回復し、彼が正しかったことを認めました。裁判から350年以上も経ってからのことでした。

ガリレオから学ぶ「自分の目で見て、考える」ことの大切さ

ガリレオの物語は、今の科学がたくさんの「なぜ?」という疑問と、それを確かめようとした人々の努力の積み重ねでできていることを教えてくれます。

もしあなたが夜空の星や、身の回りの不思議なことに興味を持ったなら、それはガリレオが持っていた気持ちと同じ、科学の第一歩です。ぜひ、その「なぜ?」という気持ちを大切に、いろいろなことを調べてみてくださいね。

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