ナイチンゲールは何をした人?「看護の母」の功績をわかりやすく解説

身近な疑問

ワンダー 2

公開日2025.11.24

「ナイチンゲール」と聞くと、「有名な看護師の人」というイメージを持つかもしれませんね。 フローレンス・ナイチンゲールは、「近代看護の母」とも呼ばれ、今の看護の基本をつくった人物です。 この記事では、ナイチンゲールが何をした人なのか、その功績や人柄をわかりやすく説明します。

この記事をいいねと思ったらクリック!

フローレンス・ナイチンゲールとはどんな人?

まずは、フローレンス・ナイチンゲールがどんな少女時代を過ごし、なぜ「看護」の道を選んだのかを見ていきましょう。

ナイチンゲールの生い立ち

フローレンス・ナイチンゲールは、今から200年以上前の1820年5月12日、イタリアのフィレンツェという美しい街で生まれ、上流階級の裕福な家庭で育ちました。

当時のイギリスでは、女性がレベルの高い教育を受ける機会は多くありませんでした。しかし、ナイチンゲールの父親は教育に熱心で、彼女にギリシャ語やラテン語、歴史、数学など、幅広い学問を学ばせたのです。

看護の道を選んだきっかけ

何不自由ない生活を送っていたナイチンゲールですが、心の中ではいつも「困っている人や貧しい人たちの役に立ちたい」という強い思いを抱いていました。

そしてある時、「病気で苦しむ人たちの世話をする『看護』こそ、自分が本当にやるべき仕事だ」と決意します。

しかし、家族は強く反対しました。19世紀のヨーロッパでは、看護師は専門知識のない女性がやる仕事とみなされ、社会的に尊敬される仕事ではなかったからです。

それでもナイチンゲールの決心は固く、家族の反対を押し切ってドイツへ渡り、専門的な看護の訓練を受け、本格的に学び始めました。

ナイチンゲールは何をした人なの?

看護の道を選んだナイチンゲールですが、彼女の功績は病人の世話をしただけではありません。医療の現場に、大きな変化をもたらしました。

クリミア戦争で戦場の病院を改善した

ナイチンゲールの名前が世界中に知られるきっかけとなったのが、1854年に始まったクリミア戦争です。この戦争でイギリス兵が送られたトルコの陸軍病院は、信じられないほどひどい状態でした。

ケガをした兵士たちは汚れたままの環境に置かれ、薬や包帯も足りず、まともな手当ても受けられません。その結果、戦いの傷そのものよりも、汚い環境が原因の感染症で亡くなる兵士が圧倒的に多かったのです。

この状況を知ったナイチンゲールは、38人の看護師たちと現地へ向かいます。彼女はまず、病院を徹底的に掃除して空気を入れかえ、シーツや包帯を清潔にし、兵士たちの食事を栄養のあるものに変えました。
このような衛生環境の改善に努めた結果、亡くなる兵士の数が大幅に減ったのです。この出来事は、病院を清潔にすること(衛生管理)がいかに大切かを、世の中に広く示しました。

「近代看護」の基礎を築いた

クリミア戦争での経験から、ナイチンゲールは「看護には、やさしさだけでなく、科学的な知識と技術が必要だ」と確信しました。

帰国後、国中からの寄付金をもとに、1860年ロンドンのセント・トーマス病院に看護学校を設立します。この学校では、科学的根拠にもとづいた看護の教育が行われました。

ここで学んだ卒業生たちが、やがて世界中の病院でリーダーとして活躍し、新しい看護の考え方と技術を広めていったのです。

データと統計で問題点をわかりやすく示した

ナイチンゲールは、数字のデータを分析する専門家「統計学者」としての一面も持っていました。

彼女はクリミアの病院で兵士がなぜ亡くなったのか、その原因をくわしく記録し、データを集めて分析しました。そして、「兵士の死因のほとんどは、戦いの傷ではなく、病院の汚い環境による感染症だ」という事実を突き止めます。

このことを政府のえらい人たちにひと目でわからせるため、彼女は「鶏のとさかグラフ」と呼ばれる今の円グラフに似た図を考え出しました。このグラフのおかげで、だれもが問題の大きさを理解できたのです。

このデータにもとづく報告書によって、イギリスの軍隊は病院の衛生改善に真剣に取り組み始め、多くの命が救われました。

ナイチンゲールの残した影響

ナイチンゲールの活動は、当時の医療や社会に大きな影響をあたえ、その考え方は今の私たちの生活にもつながっています。

看護師という職業を確立した

ナイチンゲールが登場するまで、看護は専門的な仕事とはみられていませんでした。しかし、彼女の活躍と看護学校の設立によって、看護師は専門教育を受けた、知識と技術を持つ「専門の仕事」として、社会に認められていったのです。彼女の取り組みが、現在の看護師という職業の土台を築いたといえます。

「衛生」の大切さを社会に広めた

「清潔さが命を守る」と訴え続けたナイチンゲールの考えは、病院の中だけにとどまりませんでした。彼女は本などを通じて、「健康のためには、きれいな空気、水、日光、そして清潔な家が大切だ」と広く国民に伝えました。

建築にも詳しかった彼女は、光が入り、風通しの良い病院の設計を提案するなど、社会全体の健康を守る「公衆衛生」という考え方の基礎を築きました。

誕生日に「看護の日」が制定された

ナイチンゲールの功績をたたえ、彼女の誕生日である5月12日は「国際看護師の日」に定められています。日本でも、この日を含む一週間は「看護週間」とされ、看護の心について考える機会となっています。ナイチンゲールの名前と彼女が築いたものは、今も世界中の医療現場に受け継がれているのです。

ナイチンゲールの豆知識

最後に、ナイチンゲールについて、もう少し知ることができる豆知識をいくつか紹介します。

「ランプの貴婦人」と呼ばれた理由

クリミア戦争の戦地で、ナイチンゲールは「ランプの貴婦人」と呼ばれていました。これは、彼女が夜中にランプを手に、一人で静かに病棟を見回り、苦しむ兵士一人ひとりに声をかけ続けた姿からついた呼び名です。そのひたむきな姿は、兵士たちの心の大きな支えとなりました。

フローレンスという名前の由来

ナイチンゲールの「フローレンス」という名前は、彼女が生まれたイタリアの都市「フィレンツェ」を英語で呼んだものです。当時、裕福な人々は旅先で生まれた子どもに、その土地にちなんだ名前をつけることがありました。ちなみに、彼女のお姉さんの名前は「パーセノペ」といい、これはギリシャの古い都市(今のナポリの一部)の名前に由来しています。

世界に広まった「ナイチンゲール誓詞」とは?

看護師が仕事につく時に心構えを誓う「ナイチンゲール誓詞」というものがあります。世界中の看護学校の卒業式などで読み上げられていますが、これはナイチンゲール本人が作ったものではありません。1893年にアメリカで考えられたものが元になっており、彼女の精神を受け継いでいこうという思いから、その名が付けられたといわれています。

ナイチンゲールの生き方に学べること

この記事を通して、ナイチンゲールが何をした人なのか、そのすごさが伝わったでしょうか。
彼女は、ただケガや病気の人を看護しただけでなく、

・看護を専門的な仕事にした
・データを使って、病院や社会を清潔にした
・看護師のための学校をつくった

という社会をより良くするために、とても大きな役割を果たした人物でした。

ナイチンゲールの生涯から学べるのは、強い「意志」と「考える力」、そしてみんなを助けたいと願う「やさしい心」です。

ナイチンゲールの活動は、周りの人のために自分に何ができるかを考え、行動することの大切さを教えてくれます。物事をよく観察し、より良くするための工夫を重ねることが、未来を変える大きな力につながるのかもしれません。

コンテスト

関連記事

人気記事

関連動画

  1. ワンダースクール
  2. トピックス一覧
  3. 身近な疑問の記事一覧
  4. ナイチンゲールは何をした人?「看護の母」の功績をわかりやすく解説