モーツァルトはどんな人?名曲とエピソードで知る天才作曲家の人生

身近な疑問

ワンダー 1

公開日2025.12.08

モーツァルトという名前を聞くと、どんなイメージが浮かびますか? きっと、多くの人が「すごい作曲家!」と答えるのではないでしょうか。 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、今から250年以上も前に活躍したオーストリアの作曲家です。 彼はオペラや交響曲(こうきょうきょく)を、一生の間に600曲以上もの作品を残しています。 この記事では、そんな天才音楽家モーツァルトがどんな人物だったのか、彼が作った有名な曲や豆知識などをわかりやすく紹介していきます。

この記事をいいねと思ったらクリック!

モーツァルトはどんな人?

伝記や映画に出てくるモーツァルトは、少し変わった面白い人物に見えるかもしれません。それでは、実際の彼はどんな性格だったのでしょうか。

「神童」と呼ばれた音楽家の生い立ち

モーツァルトは、1756年に今のオーストリアにあるザルツブルクという美しい街で生まれました。父親のレオポルトは作曲家でヴァイオリンの先生、姉のナンネルもピアノがとても上手だったため、モーツァルトは音楽にあふれた家庭で育ちました。

幼いころからチェンバロ(当時のピアノのような鍵盤楽器)の演奏が得意でした。そのため、5歳になる頃には自分で曲を作っていたと伝えられています。モーツァルトの才能に気づいた父親は、モーツァルトと姉を連れてヨーロッパ中へ演奏旅行に出かけました。モーツァルトは各地の王様や貴族の前で素晴らしい演奏をし、「神童(神様からの贈り物のような才能を持つ子ども)」として大評判になりました。

おしゃべりで冗談が好き?その意外な性格

「天才」と聞くと、真面目でむずかしい人をイメージするかもしれません。しかし、モーツァルトは逆でした。彼が家族やいとこに書いた手紙には、たくさんの冗談や面白い話がいっぱいだったそうです。おしゃべりが好きで、ビリヤードやダンスも得意な、とても明るい性格だったと伝えられています。

ウィーンを中心に活躍した生涯

故郷のザルツブルクで宮廷音楽家として働いていたモーツァルトですが、厳しいルールに縛られるのが苦手でした。それゆえ、もっと自由に音楽活動をするために25歳の時にウィーンへ引っ越します。

ウィーンでは、オペラの作曲やコンサートを開いて大活躍し、数々の傑作を生み出しました。交響曲の父と呼ばれる作曲家ハイドンとも出会い、お互いを尊敬し合う良いライバルになります。しかし、晩年は借金をしたり、病気がちになったりと、苦労も多かったようです。1791年に未完成の「レクイエム」という曲を残し、35歳という若さで亡くなりました。

モーツァルトが音楽の歴史に残した功績

モーツァルトが天才として歴史に名前を残しているのは、ただ名曲をたくさん作ったからだけではありません。彼はそれまでの音楽のスタイルを大きく進化させ、新しい時代を切り開きました。

オペラを革新した

オペラとは登場人物がセリフを歌い、オーケストラの演奏とともに物語が進む音楽劇のことです。モーツァルトは、「フィガロの結婚」や「魔笛」といったオペラで、音楽を通して登場人物の喜びや悲しみといった細かい感情を見事に表現しました。それまでのオペラにはなかった生き生きとした人間ドラマを描き、オペラをだれもが楽しめる総合芸術へと進化させたのです。

交響曲や協奏曲を高いレベルで完成させた

交響曲はオーケストラ全体で演奏される楽曲で、協奏曲(きょうそうきょく)はピアノやヴァイオリンなどの一人(または複数)の演奏者(ソリスト)とオーケストラが、まるで対話をするように演奏する曲のことです。

モーツァルトは交響曲第41番「ジュピター」で、当時のヨーロッパ音楽(古典派音楽)の中でも傑作のひとつといわれる曲を作りました。また、ピアノ協奏曲では、ピアノとオーケストラが対等な立場で音楽を作り上げていく新しいスタイルを完成させました。

宗教曲や室内楽でも名作を残した

モーツァルトの才能は、教会で演奏される神聖な宗教曲や少人数の楽器で演奏される室内楽でも輝きました。

亡くなる直前まで作曲していた「レクイエム(鎮魂歌)」は、美しくも重みのあるメロディが聞く人の心を深く打つ傑作です。残念ながら未完成のままになってしまいましたが、彼の死後に弟子によって完成されました。

まずはコレを聴いてみよう!モーツァルトの名曲6選

モーツァルトの曲は600以上もあります。まずは、どこかで聞いたことがある有名な曲から楽しむのがおすすめです。

アイネ・クライネ・ナハトムジーク

正式名称は「セレナード第13番 ト長調 K.525」で、ドイツ語で「小さな夜の曲」という意味です。明るく軽快なメロディが心地よいモーツァルトの代表曲です。

きらきら星変奏曲

当時フランスで流行していた曲「ああ、お母さん聞いて」のメロディを主題にした12の変奏曲です。日本では「きらきら星」のメロディとして有名です。

トルコ行進曲

ピアノ・ソナタ第11番の第3楽章として作曲されたリズミカルで楽しい一曲です。当時のヨーロッパで流行していたトルコの軍楽隊(ぐんがくたい)の音楽を真似てモーツァルトが作曲しました。

「フィガロの結婚」序曲

オペラ「フィガロの結婚」の最初に演奏される曲です。これから始まる楽しいお祭りを予感させるような、ワクワクした気持ちにさせてくれます。

「魔笛」より夜の女王のアリア

オペラ「魔笛」の中で、夜の女王が歌う有名なアリアです。人間が歌える限界に挑戦するような、驚くほど高い声が印象的で、女王の激しい怒りが表現されています。

交響曲第40番 ト短調 K.550

モーツァルトの交響曲の中で特に人気の高い一曲です。美しさの中にどこか切なさが感じられるメロディは、多くの人の心を惹きつけます。

モーツァルトの豆知識

最後にモーツァルトに関する豆知識をいくつか紹介します。

本当の名前はすごく長かった

モーツァルトが教会で洗礼を受けた時の正式な名前は、「ヨハン・クリゾストムス・ヴォルフガング・テーオフィール・モーツァルト」という長いものでした。
「テオフィルス」はギリシャ語で「神に愛された者」という意味で、これをラテン語にすると「アマデウス」になります。

生涯の3分の1を演奏旅行で過ごした

モーツァルトは35年の人生のうち、合計で約10年間を演奏旅行に使ったといわれています。当時は馬車での移動が中心だったため、旅はとても大変でした。彼は旅の途中でも作曲ができるように、小さな鍵盤楽器を持ち歩いていたそうです。

実は左利きだったという説もある?

「モーツァルトは左利きだった」とはっきりとした証拠はありません。しかし、一部の研究者は「モーツァルトは左利きだったかもしれない」と考えています。
左利きだったのならば、ピアノを弾く指の使い方も右利きの人とは少し違っていたかもしれませんね。

モーツァルトが今も世界中で愛される理由

この記事ではモーツァルトがどんな人物で、何をした人なのかを見てきました。
彼は子どものころから「神童」と呼ばれた才能の持ち主でありながら、おしゃべりで冗談好きな、人間味あふれる人物でした。そして、オペラや交響曲といった音楽をさらに表現豊かな芸術へと進化させたのです。

モーツァルトの音楽が、250年以上たった今でも世界中で愛され続けているのはなぜでしょうか。
それは彼の音楽が技術的にすごいだけでなく、私たちの心にある喜び、悲しみ、楽しさといった感情にそっと寄りそってくれるからかもしれません。

まずは家族や友達と一緒に、この記事で紹介した名曲を聴いてみませんか?そして、「この曲はどんな気持ちになる?」と感想を話し合ってみるのもきっと楽しいはずです。

コンテスト

関連記事

人気記事

関連動画

  1. ワンダースクール
  2. トピックス一覧
  3. 身近な疑問の記事一覧
  4. モーツァルトはどんな人?名曲とエピソードで知る天才作曲家の人生