新選組(しんせんぐみ)の名前を聞くと、近藤勇(こんどう いさみ)や土方歳三(ひじかた としぞう)、沖田総司(おきた そうじ)といった隊士を思い浮かべる人もいるかもしれません。新選組は、幕末の京都で江戸幕府側の立場から、町の警備や取り締まりを行った組織です。
この記事では新選組メンバーのうち、組織を支えた個性豊かな13人の活躍をわかりやすく紹介します。
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このトピックスのもくじ
新選組といえばこの人!よく知られるメンバー3人
新選組メンバーの中心人物として有名なのが、近藤勇、土方歳三、沖田総司の3人です。3人は江戸の試衛館(しえいかん)という剣術道場に関わりがあり、京都へ向かってからも新選組の中心として活動しました。
近藤勇(局長)
近藤勇(こんどう いさみ)は、新選組の「局長」です。局長とは、組織全体をまとめるトップのリーダーを指します。近藤は武蔵国多摩(むさしのくにたま:現在の東京都多摩地域)の出身で、試衛館で天然理心流(てんねんりしんりゅう)という剣術を学びました。
近藤は仲間たちとともに京都へ向かい、京都に残った隊士たちと「壬生浪士組(みぶろうしぐみ)」の中心となります。これがのちの新選組です。仲間をまとめる力があり、新選組を代表する人物になりました。
江戸幕府から新しい政府へ時代が変わる中で、新選組は厳しい立場に置かれます。近藤は1868年に板橋(いたばし)で処刑されましたが、局長として隊をまとめた存在は、新選組を語るうえで欠かせません。
土方歳三(副長)
土方歳三(ひじかた としぞう)は、新選組の「副長」です。副長とは、局長を助けながら、組織のルールや動きを管理する役職です。近藤と同じく試衛館に関わり、天然理心流の剣術を学びました。
土方は「鬼の副長」と呼ばれることがあります。新選組には隊士が守る厳しい規律があり、土方は副長として隊の規律を管理しました。考え方や出身がちがう隊士たちをひとつにまとめるうえで、土方の存在はとても重要でした。
近藤が亡くなったあとも、土方は幕府側の軍とともに戦い続け、会津(あいづ)や箱館(はこだて)へ向かいます。1869年に箱館で戦死しましたが、最後まで隊を支えようとした人物として知られています。
沖田総司(一番隊組長)
沖田総司(おきた そうじ)は、新選組の「一番隊組長」です。組長とは、隊の中のグループをひっぱるリーダーのことです。沖田は若いころから剣術の才能があり、腕の立つ剣士として知られていました。
1864年の「池田屋事件(いけだやじけん)」では、京都の池田屋に集まっていた志士(しし)たちを取り締まり、新選組の名前を世の中に広めるきっかけをつくりました。
沖田には、明るい性格で子どもと遊ぶのが好きだったという話も残っています。一方で、病気のため後半の戦いには参加できない時期があり、1868年に江戸で亡くなったとされています。若くして亡くなりましたが、腕の立つ剣士として今もよく知られる新選組メンバーの一人です。
中心人物とともに活躍した新選組メンバー10人
新選組の魅力(みりょく)は、近藤や土方たちだけではありません。ここでは、組織の土台を支えた主な新選組メンバー10人を、役職や人物像とあわせて紹介します。
永倉新八(二番隊組長)
永倉新八(ながくら しんぱち)は、二番隊組長です。剣術が得意な隊士として池田屋事件でも活躍しました。明治時代まで生き、新選組の経験や当時のようすを後の時代に伝えた人物でもあります。
斎藤一(三番隊組長)
斎藤一(さいとう はじめ)は、三番隊組長などを務めました。剣術の腕前が高く、新選組の中でも実力ある隊士として知られています。新選組としての活動が終わりに近づいたあとも、会津側について戦い、明治時代まで生きました。
原田左之助(十番隊組長)
原田左之助(はらだ さのすけ)は、十番隊組長を務めました。刀だけでなく、槍(やり)を使う戦い方も得意だったとされています。明るく豪快(ごうかい)な性格の隊士として紹介されることが多い人物です。
藤堂平助(八番隊組長)
藤堂平助(とうどう へいすけ)は、八番隊組長を務めた隊士です。池田屋事件でけがをしながら戦ったことでも知られています。のちに新選組を離れ、別のグループである御陵衛士(ごりょうえじ)に加わりました。
井上源三郎(六番隊組長)
井上源三郎(いのうえ げんざぶろう)は、六番隊組長です。土方歳三と同じ日野の出身で、近藤や土方にとって古くからの仲間でした。年上の隊士として、試衛館ゆかりのメンバーを支えた人物です。
山南敬助(総長)
山南敬助(やまなみ けいすけ)は、新選組の総長です。総長は、局長や副長とともに隊全体を支える重要な役職でした。学問や礼儀に通じた人物で、新選組の中でも知的な隊士として知られています。
芹沢鴨(初期の局長)
芹沢鴨(せりざわ かも)は、新選組の初期に局長を務めた人物です。水戸派の中心として組織をまとめました。一方で、乱暴な行動も多かったと伝えられており、近藤勇たちとはちがうタイプのリーダーでした。
新見錦(局長格)
新見錦(にいみ にしき)は、新選組の初期メンバーで、局長と同じくらいの立場だったとされる人物です。芹沢鴨に近い立場でしたが、残っている資料が少なく、はっきりしない点もあります。
山崎烝(監察)
山崎烝(やまざき すすむ)は、監察(かんさつ)を務めました。監察とは、情報を集めたり、隊の中や外の動きを調べたりする役目です。戦うだけでなく、情報を集める仕事で新選組を支えました。
伊東甲子太郎(参謀)
伊東甲子太郎(いとう かしたろう)は、新選組の参謀(さんぼう)です。参謀とは、作戦や方針を考える役職です。学問の知識が深い人物でした。のちに新選組を離れ、別の立場から活動するようになります。
新選組メンバーはどんな組織で活動していたの?
新選組は、幕末の京都で活動した武士の集団です。江戸幕府を守る立場から、京都の町の警備や取り締まりを行いました。
もともとは、将軍が京都へ向かうのを守るために集められた浪士組(ろうしぐみ)が始まりです。その後、近藤勇たちは京都に残り、壬生浪士組(みぶろうしぐみ)をへて「新選組」と呼ばれるようになります。
池田屋事件などで名前が広く知られるようになりますが、江戸幕府が終わりに近づくと、新しい政府の軍と戦う立場になりました。そして、時代の大きな変化の中で、新選組はその役目を終えていきました。
新選組メンバーに関するQ&A
Q. 新選組メンバーは全員が武士の出身だったのですか?
A. 新選組メンバーは、全員が武士の家に生まれたわけではありません。例えば、近藤勇は農家に生まれ、土方歳三は多摩の日野で育ちました。2人は剣術を学び、京都で新選組の中心人物として活動します。新選組では、出身よりも剣術の力や隊の中での働きが重視されました。
Q. 新選組メンバーの中で誰が一番強いですか?
A. 新選組メンバーの中では、沖田総司、永倉新八、斎藤一などが剣術にすぐれた隊士としてよく知られています。ただし、だれが一番強かったかを正確に決めることはできません。それぞれ得意な戦い方や役割がありました。
Q. 新選組のメンバーは何人くらいいたのですか?
A. 人数は時期によって変わりました。最初は少人数でしたが、人が多かった時期には200人をこえていたともいわれています。新しく入る人もいれば、途中で抜ける人もいました。
新選組メンバーそれぞれの役職や特徴を振り返ろう
新選組メンバーには、局長、副長、組長、監察(かんさつ)、参謀(さんぼう)など、それぞれの役職がありました。近藤勇は組織をまとめ、土方歳三はきまりを管理し、沖田総司は現場のリーダーとして活躍しました。
新選組には、永倉新八や斎藤一のように明治時代まで生きて歴史を伝えた人もいれば、戦いの中で若くして命を落とした人もいます。それぞれの歩みを知ると、メンバーごとの役割や考え方の違いが見えてきます。
小説やアニメで新選組が人気なのは、メンバーそれぞれの人生にドラマがあるからです。気になる隊士がいたら、出身地や役職、どんな活躍をしたのかを調べてみると、幕末の歴史がさらに身近になります。








































