小野小町(おののこまち)は、百人一首にも和歌が選ばれた平安時代の歌人です。美しい女性だったという伝説や、恋にまつわる物語でも知られています。
この記事では、小野小町がどんな人なのか、有名な和歌や今も語りつがれる伝説をわかりやすく紹介します。
このトピックスをいいねと思ったらクリック!
このトピックスのもくじ
小野小町はどんな人?
小野小町は、平安時代に活躍した歌人です。和歌とは、五・七・五・七・七のリズムで、気持ちや景色を表す短い歌のことです。
小町は、すぐれた歌人として「六歌仙(ろっかせん)」に数えられ、百人一首にも和歌が選ばれています。
一方で、小町には非常に美しい女性だったという美女伝説や、深草少将(ふかくさのしょうしょう)との「百夜通い(ももよがよい)」の物語も残されています。
小説や謡曲(ようきょく)などの題材にもなり、今の時代でも多くの人に名前を知られている人物です。まずは、小町の生い立ちや宮廷での暮らしから見ていきましょう。
小野小町の生い立ちと宮廷での暮らし
小野小町の人生には、はっきりわかっていないことが多くあります。生まれた場所や家族、晩年(ばんねん)についてもさまざまな説があり、史実と伝説が重なって語られてきました。
出身地や家族に関する多くのナゾ
小野小町の出身地や家族については、たしかな記録が少なく、今もはっきりわかっていません。現在の秋田県湯沢市にあたる地域で生まれたという説があるほか、各地に小町ゆかりの場所が残されています。
「小野」は、小野氏(おのし)という一族の名前と考えられています。平安時代に官僚(かんりょう)や学者、歌人として活躍した小野篁(おののたかむら)の孫だったという説もありますが、はっきり決まっているわけではありません。
天皇の近くで働く「宮廷」での生活
小野小町は、天皇の近くで働く女性として、宮廷(きゅうてい)で暮らしていたといわれています。宮廷とは、天皇や身分の高い人たちが生活し、政治や儀式も行われた場所です。
平安時代の宮中(きゅうちゅう)では、和歌をよむことが大切な教養のひとつでした。季節の景色や恋の気持ちを、短い言葉でうまく表す力が求められたのです。小町も、そうした文化の中で和歌の才能をみがいたと考えられます。
歌人としての実績と周囲からの評価
小野小町の大きな魅力(みりょく)は、和歌の才能にあります。美人伝説で有名ですが、もともとは平安時代を代表する女流歌人(じょりゅうかじん)のひとりとして名前を残しました。
優れた歌人のグループ「六歌仙」への選出
小野小町は、「六歌仙(ろっかせん)」に数えられています。六歌仙とは、「古今和歌集(こきんわかしゅう)」の仮名序(かなじょ)で取り上げられた、当時名を知られていた6人の歌人のことです。
六歌仙には、在原業平(ありわらのなりひら)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)なども含まれます。小町はその中で、恋の気持ちや人の心の移り変わりをよむ歌人として知られました。
また、小町は三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)にも数えられています。三十六歌仙とは、後の時代にすぐれた歌人として選ばれた36人のことです。小町の和歌は、時代をこえて評価されてきたといえるでしょう。
百人一首にも選ばれた有名な和歌
小野小町の和歌で特に有名なのが、小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)に選ばれた一首です。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
この歌は、長雨をながめているうちに、桜の花の色があせてしまった、という景色をよんでいます。同時に、自分も年を重ねて変わっていくことを、花の色に重ねた歌とも読まれます。
「花の色」は桜の美しさ、「わが身」は自分自身を表します。小町は、花が色あせるようすを通して、時間が過ぎていくさびしさや、人の心のゆれを表したと考えられます。
短い一首の中に、景色と気持ちの両方がこめられているところに、小町の和歌の魅力があります。
小野小町にまつわる有名な伝説
小野小町には、美しさや恋にまつわる伝説が多く残されています。ここでは、今もよく知られている小町の物語を紹介します。
非常に美しい女性だったという「美女伝説」の広まり
小野小町は、非常に美しい女性だったという伝説で知られています。楊貴妃(ようきひ)やクレオパトラと並べて「世界三大美女」と呼ばれることもありますが、これは後の時代に広まった言い方です。
小町の顔や姿を正確に伝える写真や記録は残っていません。それでも、美貌(びぼう)と和歌の才能をあわせ持つ女性として語られたことで、美女伝説が広まっていきました。現代でも、美しい人を表す言葉として「〇〇小町」と呼ぶことがあります。
小町に恋した男性との間で生まれた「百夜通い」の物語
小野小町の伝説で有名なのが、「百夜通い(ももよがよい)」です。小町を好きになった深草少将(ふかくさのしょうしょう)という男性が、小町のもとへ何日も通い続ける物語として知られています。
よく語られる話では、小町は深草少将に「100日間、毎晩通い続けたら思いを受け入れましょう」と伝えます。少将は通い続けますが、あと少しというところで命を落としてしまう切ない結末です。
この物語は、能の「通小町(かよいこまち)」や「卒塔婆小町(そとばこまち)」など、小町を題材にした謡曲(ようきょく)にもつながり、さまざまな形で語りつがれてきました。
小野小町についてのQ&A
Q.小野小町というのは本名ですか?
A.小野小町の本名は、はっきりわかっていません。「小野」は小野氏という一族の名前と考えられますが、「小町」が本名だったのか、宮廷での呼び名だったのかには複数の説があります。小町は、名前にもナゾが残る歌人です。
Q.小野小町の晩年はどうなったのですか?
A.小野小町の晩年(ばんねん)については、たしかな記録が少なく、はっきりしていません。各地を旅したという伝説や、老いた小町を描く物語が残されています。関寺小町(せきでらこまち)や卒塔婆小町(そとばこまち)のように、晩年の小町を題材にした作品もあります。
Q.小野小町は、「小野」がつく他の歴史上の有名人と関係がありますか?
A.小野小町は、小野氏(おのし)という一族に関わる人物と考えられています。歴史の授業で習う小野妹子(おののいもこ)や、小野篁(おののたかむら)、小野道風(おののとうふう)なども「小野」の名を持つ人物です。ただし、小町とそれぞれの人物の関係には、はっきりしない点もあります。
小野小町は和歌と伝説で今も知られる平安時代の歌人
小野小町は、百人一首にも和歌が選ばれた平安時代の歌人です。出身地や晩年(ばんねん)にはナゾが多い一方で、美人伝説や百夜通いの物語など、たくさんの伝説も残されています。
小町に興味を持ったら、まずは百人一首に選ばれた小町の和歌を声に出して読んでみましょう。短い言葉の中に、季節の景色や人の気持ちがどのようにこめられているのか、少しずつ見えてきます。









































