奥深い和食の歴史 起源や時代ごとの料理の特徴、世界への影響
公開日: 2024/07/26
私たちが普段食べている日本料理のことを「和食」といいます。日本人がなにげなく食べている和食ですが、実は健康的な料理として海外でも人気が高く、2013年にはユネスコ無形文化遺産に登録されたほどです。そこで、世界で注目される和食の歴史や料理の特徴について解説します。
和食とは?
日本ではさまざまな国が由来になっている食事を楽しむことができます。もともとの日本料理を各国料理のアレンジしている料理も多く、ひとくちに和食といってもどのような食事のことを指すのかがわからない人もいるかもしれません。農林水産省では和食には4つの特徴があると定義づけています。
多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重
日本は海や山、里と自然豊かな風土を持っています。これによって豊富な食材を得ることができ、素材をいかす調理方法も確立しました。
健康的な食生活を支える栄養バランス
日本の基本的な食事スタイルは「一汁三菜」、メインのおかず1品に副菜が2品の献立です。理想的な栄養バランスで、日本人が長生きできる要因ともいわれています。また、出汁(だし)からとった「うま味」を上手に使うことで、ヘルシーな食事となります。
自然の美しさや季節の移ろいの表現
和食では食材の旬を意識して、自然の美しさや四季の移ろいを表現することが多くあります。また、食事だけではなく食器や飾り付けにもこだわっており、見た目の美しさも特徴的です。
正月などの年中行事との密接な関わり
正月のおせちやひな祭りのちらし寿司など、日本には年中行事に欠かせない食事がたくさんあります。季節ごとに日本の文化を感じられる食事をいただくことで、家族や地域のつながりを深めてきました。
和食は2013年にユネスコ無形文化遺産に登録された!
和食は自然を尊重する日本の伝統的な食文化を象徴するものです。海外でもヘルシーでおいしい食事として和食は注目されています。また、自然や旬を感じさせる食材や盛り付けなど、和食は他の国の料理とは違う特徴を多く持っています。2013年ユネスコ無形文化遺産に登録されたことにより、ますます和食人気は高まり、実際に海外でも日本食レストランは数多くオープンしてきました。
縄文時代から現代まで!和食の歴史
和食は海外でも注目されていますが、実際に日本ではどのような食事を食べられてきたのでしょうか。時代ごとに日本人が食べてきたものを振り返ります。
縄文時代
縄文時代に入ると「縄文式土器」と呼ばれる深さのある土器が作られるようになります。それ以前は、食材を焼いたり天日干しにしたりなどと調理法が限られていたので、縄文式土器の誕生によって調理方法のバラエティーが豊かになったと考えられます。また、縄文時代の「貝塚」と呼ばれる遺跡からはシジミやアサリといった貝殻がたくさん出土しています。当時の人々は縄文式土器を使って貝のスープなどを作って食べていたのだと考えられます。
弥生時代
弥生時代に本格的に広まったのが水田による稲作です。日本の主食といえばお米を思い浮かべる人が多いのですが、実は弥生時代に本格的な稲作が始まりました。この時期はご飯に数種類のおかずを食べる食事のスタイルになりました。おかずは貝や魚、山菜やキノコなどを調理して食べていたようです。また、中国の歴史書にはこの時期日本人が魚を刺身で食べていた記録が残っています。
飛鳥・奈良時代
飛鳥時代の675年、日本の食文化に大きな影響を与えた法令が発布されました。それは「肉食禁止令」です。天武天皇は牛や馬、鶏(にわとり)などの肉食を禁じたため、これ以降の日本では魚や野菜が食事の中心となりました。肉食ができない分、魚や大豆でたんぱく質を摂ったり出汁を工夫したりするようになります。これは世界で注目されるヘルシーな和食が誕生するきっかけともいえます。明治時代の初めに肉食禁止令は廃止されますが、それまで約1200年間日本では肉食が一般的ではありませんでした。
平安時代
平安時代は貴族を中心とした華やかな文化が発展しました。食事の面でも、貴族社会では中国の影響を受けたおもてなし料理「大饗(だいきょう)料理」が広まりました。大饗料理では大きな卓に小分けにしたおかずが小皿に載せられて並べます。中国の影響で小皿は縁起が良いとされている偶数に揃えられていました。
鎌倉時代
鎌倉時代は中国で禅宗を学んだ僧侶たちによって「精進料理」が日本に伝わりました。精進料理とは僧侶が修業中に食べる食事のことで、植物性の食材だけを使って作られた料理を指します。油や味噌といった調味料を組み合わせて、味の濃い肉食に近づけます。現在でも、精進料理はお葬式の際に行われる会食などで一般的です。
室町・戦国時代
室町時代・戦国時代には、京都における公家文化と武家の文化が融合した「本膳料理」というおもてなし料理が生まれました。本膳料理とは、高さのあるお膳に奇数個の小皿を載せて食事をふるまうものです。お膳はお酒のおつまみ、食事と分けて配膳されるのが一般的です。この様式は日本の儀式料理の基本として、現在もいかされています。また、当時の戦国武将が好んだ茶道から懐石料理が生まれました。懐石料理はお茶を飲む前に楽しむ簡単な食事です。
江戸時代
江戸時代は現在の和食の基本となる料理や習慣が生まれました。江戸時代は戦のない時代なので、庶民も食事を楽しめるようになりました。多くの料亭が誕生して、お酒と一緒に楽しむ会席料理が登場します。茶の湯から発展した懐石料理はお酒を飲まずお茶の前に楽しむ簡単な料理でしたが、会席料理は前菜から順番に提供される豪華な食事です。現在の1日3回食事をする習慣も江戸時代に生まれたものです。照明用の菜種油が庶民に普及したことにより、人が起きて活動する時間が長くなったことが1日3食の習慣が生まれたきっかけといわれえています。江戸の町では天ぷらやそばといった、和食の代表料理が誕生しました。他にもうなぎや握り寿司なども江戸時代に誕生し、現在も人気が続いています。
明治・大正・昭和時代
江戸時代の終わりに鎖国制度が廃止されて西洋文化が入るようになると、日本の食文化も変化していきます。1871年に肉食が解禁され、牛鍋などが流行しました。大正時代には洋食を提供するカフェやレストランも多く登場し、ライスカレーやとんかつ、コロッケなど現在もが庶民の間で人気のメニューとなります。第二次世界大戦後、高度経済成長を迎えると家庭に冷蔵庫やガス調理器具が普及します。レトルト食品なども登場し、伝統的な和食と西洋料理が融合した家庭料理が多く生まれました。
料理ごとの歴史
和食の代表例ともいえる人気の料理にどのように誕生・発展してきたのでしょうか。外国人からも人気の高い3つの料理について歴史をご紹介します。
寿司の歴史
寿司はもともと魚を長く保存するために調理した「熟れ寿司(なれずし)」が一般的でした。熟れ寿司とは穀物の中に魚を入れて発酵させた食品で、現在も滋賀県の鮒(ふな)寿司や和歌山県の鯖(さば)を使った熟れ寿司などが郷土料理として残っています。現在一般的な酢飯の上に刺身を載せた握り寿司は「江戸前寿司」と呼ばれ、江戸時代に登場しました。職人がさっと握ってすぐに食べられる江戸前寿司は短気な人の多かった江戸っ子から大人気になりました。戦後大阪でコンベアーによって寿司が店内をまわる回転寿司が考案され、現在は幅広い世代が気軽に楽しめる人気の高い和食となっています。
天ぷらの歴史
天ぷらは16世紀にポルトガルから伝わった料理が元となっている料理です。日本に伝わった当初、調理油は貴重品だったので天ぷらは高級品で、庶民は食べることができませんでした。江戸時代に入って油の生産量が増えたことで、天ぷらを提供する立ち食いの屋台が多く登場し、庶民に人気の料理となりました。江戸(東京)を中心に発展した天ぷらは、関東大震災をきっかけに全国に広まります。東京で被災した天ぷら職人たちが全国各地に移り住み、その土地で天ぷらのお店を作ったからです。
そばの歴史
奈良時代以前に伝来したそばは、そばがきやそば焼きのように団子状に丸めて食べられてきました。そばが「そば切り」といって現在のように細長い麺状で食べるようになったのは、つなぎに小麦粉を混ぜるようになった江戸時代からです。麺状になったそばは江戸の庶民に大人気の食べ物となり、参勤交代によって全国に広まっていきました。
日本の文化や歴史を物語っている和食!今後も大切に残していこう!
和食は日本の文化や歴史を反映しています。それぞれの時代に起きた出来事や政策の積み重ねによって、現在に続く奥深い和食が形成されてきたからです。2013年に和食はユネスコ無形文化遺産に登録され、世界に認められた文化となりました。しかし、最近では洋食を好む日本人も増えており、和食離れが進んでいるデータもあります。世界から注目され誇るべき文化でもある和食を、私たちが大切に守りながら今後もずっと食べていきたいですね。