テレビに映像が映る仕組みとは?進化を続けるテレビの歴史

公開日: 2023/05/30

話題のアニメを毎週楽しみにしていたり、オリンピックやワールドカップのたびにテレビで応援したりする人は多いでしょう。このように、テレビはあるのが当たり前の存在になっています。しかし、よく考えてみると、テレビ局で放送している番組を各家庭のテレビで多くの人が同時に視聴できるのは驚くべきことといえるでしょう。そこで、テレビに映像が映る仕組みや歴史について解説します。

目次
テレビ局で撮影した番組がどうして家のテレビで見られるの?
テレビを発明したのは誰?テレビの歴史
進化し続けてきたテレビ
テレビを視聴できるのは研究を続けてきた人のおかげ

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テレビ局で撮影した番組がどうして家のテレビで見られるの?

テレビ放送では、各地のテレビ局で撮影された映像をテレビで見ることができます。遠くにあるテレビ局が撮影した番組を、なぜ家庭のテレビで視聴できるのかを解説しましょう。

・テレビに映像が映る仕組み

テレビ画面に近づいてよく見てみると、四角いパネルのようなものが集まっているのがわかるはずです。ルーペなどでもっと拡大してみると、このパネルは赤・緑・青の光がセットになっています。この3色は「光の三原色(RGB)」と呼ばれ、組み合わせることでほとんどの色を作り出せます。並んでいるパネルは上から一行ずつ高速で書き替えると、テレビに映った画像が動くように見えるのです。この一行一行のことを走査線(そうさせん)といいます。テレビ局は、映像を電気信号に変えて送り出しています。この電気信号に含まれているのは、走査線を書き替えるための情報です。送信された信号は、放送の種類によって各家庭やマンションのテレビアンテナに届きます。地上波デジタル放送では信号を電波にかえて放送局の電波塔から、衛星放送では空高くにある人工衛星にいったん信号を送ったあと、各家庭のアンテナに届けています。ケーブルテレビでは、テレビ局からの信号を光ケーブルなどで家庭に送るのが一般的です。

・テレビから音が流れる仕組み

テレビから流れる音声は、映像やデータと一緒にデジタル信号に変換されて、各家庭の受信アンテナに届けられます。2011年日本では、テレビ放送がすべて地上デジタル放送(地デジ)に切り替わりました。デジタル放送になる以前に主流だったアナログ放送では、映像・色・音声が別々の電子信号で送られていました。

テレビを発明したのは誰?テレビの歴史

世界で初めてテレビの開発に成功したのは日本人です。しかし、実際に世界初のテレビ放映を開始したのはイギリスでした。第2次世界大戦によって日本のテレビ開発は休止したため、テレビが普及したのは戦後のことです。

・世界で最初にテレビに映されたのはカタカナの「イ」?

世界で初めて電子式テレビの開発に成功したのは、のちに「テレビジョンの父」と呼ばれる高柳健次郎博士です。1926年、当時浜松高等工業学校(現在の静岡大学工学部)の教員だった高柳博士は、ブラウン管を使った受信機を完成させました。世界初のテレビに映ったのは、カタカナである「イ」の文字。当時使われていた「イロハニホヘト」のいろは順の最初の文字です。高柳博士の成功をきっかけに、テレビはラジオの次のメディアとして、研究が加速していきます。

・テレビのはじまりはイギリス?

高柳博士が世界初のテレビを開発したあと、各国でテレビ放送の実用化に向けた競争が激しくなりました。テレビ受信機の開発には成功しましたが、テレビ放送のためにはテレビカメラが必要です。テレビカメラの研究は続き、1930年代に入ると受信機の質も向上していきます。そういったなかで、1936年イギリスのBBCが世界で初めてテレビの公共放送を開始しました。日本は1940年に開催予定だった東京オリンピックに向けてテレビ放映の開始を目指していましたが、1937年に日中戦争が勃発したため、オリンピック開催地を返上。テレビの開発も中止となりました。

・日本でも戦後にテレビ放送がスタート!大人から子どもまで街頭テレビに夢中!

日本は敗戦後GHQ(連合国最高司令官総司令部)によって占領されました。GHQはテレビの研究を禁止したため、本格的に研究が再開したのは1950年です。放送設備の整備が進められ、1953年にNHK東京テレビジョンが開局して、テレビの本放送が始まります。放送開始当時、放送されるのは白黒の映像でした。1950年代のテレビ1台の価格は約17万円。当時月給の平均は1万3,000円程度だったので、ほとんどの家庭で買えない高級品でした。このため、公園や神社に置かれた街頭テレビを、大人から子どもまでみんなが夢中になって見たそうです。街頭テレビがない地域では、テレビを持っている家に近所の人が集まってくることも一般的でした。

・カラーテレビ放送が開始!テレビは一家に1台の時代へ!

1960年にはNHKと民放4局がカラーテレビの放送を開始。しかし、しばらくの間はカラー放送の時間は短く、白黒テレビのほうが主流のままでした。1965年からは、カラーテレビはクーラー・自動車とともに「新三種の神器」と呼ばれ、日本人にとって憧れのアイテムになりました。1975年にはカラーテレビの普及率が9割を超え、一家に1台が当たり前の時代になります。

進化し続けてきたテレビ

カラーテレビが普及したあとも、テレビはどんどん進化していきます。今のテレビは薄く大きな板状ですが、1950年代に登場したときのテレビは小さな箱のような形でした。

・白黒からカラー放送まで活躍!ブラウン管テレビ

テレビ誕生から2000年頃まで主流だったのはブラウン管テレビです。ブラウン管テレビは白黒放送の時代からカラー放送まで長い期間活躍しました。高柳博士が作った世界初のテレビもブラウン管を使ったものです。ブラウン管とは、表面にある蛍光体を細長い電子銃から発射された電子ビームによって、光らせることで画像を映す仕組みになっています。構造上大きく重いので、設置するためのスペースも必要でした。

・薄い!軽い!省エネルギー!三拍子そろった液晶テレビの登場

2000年代に急速に普及したのは液晶テレビです。液晶テレビとは、液晶パネル、バックライト・赤・緑・青のカラーフィルターを使用して作られたテレビです。バックライトの光が液晶パネルとカラーフィルターを通ることで、画像を映し出します。液晶テレビは薄型のガラスを何層も組み合わせた構造なので、ブラウン管テレビよりも軽いのが特徴です。バックライトはLEDを使っているため省エネでもあります。設置スペースも取らず輸送コストも軽減できるので、人気が高まりました。

・動きの速い映像や暗いシーンもきれいに映る!プラズマテレビ

プラズマテレビは、液晶テレビと同時期に登場した薄型テレビです。プラズマテレビは液晶テレビよりも発色がよく、より大型のテレビに向いているのが特徴です。液晶テレビよりも暗い映像がきれいに見えたり、映像の切り替えが早く動きのある映像が見やすかったりというメリットもあります。しかし、生産コストが液晶テレビよりも高く、プラズマテレビはほとんど見かけなくなりました。

・有機物を使った発光方法!液晶テレビより薄い有機ELテレビ

有機ELテレビでは、赤・緑・青の有機材料が光ることで画像を映し出します。液晶テレビに必須のバックライトが不要なので、壁掛けできるほど薄型で軽量です。しかも、消費電力が少なく、鮮やかな映像を楽しめる特長もあります。 また、有機ELテレビでは、より美しい映像を楽しめる4Kにも対応しているものがほとんどです。しかし、液晶テレビよりも販売価格や消費電力が高い点がデメリットといえるでしょう。

テレビを視聴できるのは研究を続けてきた人のおかげ

初めてテレビに「イ」の字が映し出されてから約100年、私たちは毎日当たり前のようにテレビを視聴しています。当時では考えられないほど美しい映像を大きな画面で楽しんでいる人が多いでしょう。また、インターネットを通じて映像を見るのも普通になりました。今私たちが見ているテレビは、たくさんの研究の成果や技術が詰まっています。そう思ってみると、いつもよりもテレビをありがたく感じるかもしれませんね。

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