バスケットボールの起源は?日本に持ち込まれたきっかけと発展の歴史
公開日: 2023/03/30
ワールドカップやオリンピックなどで、今では多くの人に馴染みのあるスポーツとなったバスケットボール。しかしその発祥の歴史を知っている人は少ないのではないでしょうか?この記事ではバスケの起源や日本におけるバスケの歴史、世界でも有名な日本人プレイヤーなどを紹介します。
- 目次
- バスケットボールの起源は?
- 発案当初から変わらないルールといろいろな理由で変化したルール
- 日本バスケットボールの歴史
- NBAで活躍!世界的に有名な日本人プレイヤー
- 選手も観客も楽しめるように進化し続けている
バスケットボールの起源は?
まずはバスケの起源から見ていきましょう。
・1891年に国際YMCAトレーニングスクールの体育教師が考案した
バスケの発祥は1891年のアメリカです。マサチューセッツ州スプリングフィールドにある国際YMCAトレーニングスクールで、体育教師のJ・ネイ・スミスが考え出しました。
1人の人物によって考案された、数少ない競技の1つです。
・冬の間に室内で楽しめるスポーツとして作られた
当時のアメリカの人気スポーツといえば、アメリカンフットボールや野球でした。しかし雪がグラウンドに積もる冬には、これらの屋外スポーツはなかなかできません。
学生たちのモチベーションが低下しがちだった冬の時期に、屋内で行えるプログラムが求められていました。
そこでネイ・スミスは、2チームに分かれて、体育館の両端の高い位置にあるかごにボールを入れ合う、バスケの原型を生み出したのです。
レクリエーション的かつ競技的要素を含んだバスケに、学生たちも大喜び。瞬く間に多くの人を魅了し、普及していきました。
1891年12月21日に、18人の学生を9人ずつに分けて、初めてのゲームが行われた記録があります。この中には石川源三郎という日本人もいました。
12月21日は「バスケットボールの日」と、記念日になっています。
・桃を収穫するためのかごを使ったことが始まり
ネイ・スミスは、45センチメートル四方の箱をゴールにしようと考えていました。
しかしそれを用意できなかったため、たまたま倉庫にあった桃を入れるかごとサッカーボールを使いました。
これが名前の由来にもなっています。
かご(Basket=バスケット)にボールを入れることから、バスケットボールと名前がつけられました。
・日本名は「籠球」
かごを漢字で書くと「籠」。この漢字を用いて、バスケットボールの日本名は「籠球(ろうきゅう)」といいます。バスケの歴史が名前に表れていますね。
発案当初から変わらないルールといろいろな理由で変化したルール
バスケは、発案当時から変わらないルールと変化したルールとがあります。ゴールや得点を例に挙げて解説します。
・リングの高さと内径は昔から同じ
ネイ・スミスは、誰の手も届かないように、ゴールのかごを高い位置に設置しました。そのときの高さは10フィート(305センチメートル)。130年以上経った今でも変わらず引き継がれています。リングの内径も当時から変わらず、45センチメートルです。
ゴールの形状は少しずつ変化しています。桃のかごは壊れやすかったため、まずは金属製の円筒形ゴールに変わりました。その後、シュートの度に取り出すのが手間とのことで、1912年~1913年頃に現在のようなネット状に切り替わったのです。
・バックボードは観客の妨害を防止するために作られたもの
バスケが始まった当初は、バックボードはありませんでした。観客の妨害行為を防ぐために作られたという歴史があります。バスケが人気になるにつれて観客が増え、応援にも熱が入るようになりました。すると、手や足を伸ばしてゴールを妨害する観客も現れました。
それを防ぐために作られたのがバックボードです。
最初は木の板でしたが、これではコートの一部が隠れて試合が見にくくなるため、透明のプラスチック板に変更されています。後々、バックボードを利用した華麗なシュートも生まれました。思わぬ副産物といえるでしょう。
・1ゴール1点が今では1ゴール2点に
現在の得点の形式になるまでは、試行錯誤があったようです。
最初期のルールでは、シュートが入ると1点、相手のファウルが3回で1点入りました。
しかし、わざとたくさんファウルを受けるようなプレーが頻発し、「シュートを決めて得点を競う」という本質から外れてしまう事態が起こりました。
そこで、シュートが入ると3点、ファウル1回で1点とルールに変更されました。しかし再び問題が起こります。得点が一気に3倍になったことに不満が出始めたのです。
その後も検討を続けた結果、現在の1ゴール2点、ファウルを受けてもすぐに点は入らず、フリースローの権利を与えるルールに落ち着きました。
スリーポイントシュートが取り入れられたのは、1961年のアメリカの男子プロリーグからです。このおかげで、ゴール下以外でも激しい攻防が繰り広げられるようになったり、最後まで油断できない緊張感が生まれたりして、バスケがよりエキサイティングなものになりました。
日本バスケットボールの歴史
バスケは日本ではどのように広まったのでしょうか?日本に入ってきたのは、1908年。バスケ発祥の学校、国際YMCAトレーニングスクールの卒業生である大森兵蔵が、国内に広めたとされています。
1930年に大日本バスケットボール協会(現在:日本バスケットボール協会(JBA))が競技の統括機関として設立されました。
2015年には、それまで存在していた「bjリーグ」と「NBL」の2つの国内リーグを統合する形で「Bリーグ」が誕生しました。野球とサッカーに次ぐ、日本で3番目のプロスポーツリーグです。
現在の所属チーム数は、B1リーグが24チーム、B2リーグが14チームの合計38チーム。
バスケットボール界を発展のため、選手もスタッフも日々尽力しています。
NBAで活躍!世界的に有名な日本人プレイヤー
世界でも有数の人気を誇るNBA(北米プロバスケットボール)。そのNBAの公式戦でプレーした有名な日本人選手を紹介します。
・田臥勇太(たぶせゆうた)選手
1980年生まれ。神奈川県出身。
日本人初のNBAプレイヤーで、世界ジュニア選手権にも初の日本人選手として出場しています。高校3年間の全ての全国大会で優勝し、史上初の9冠を獲得。伝説となりました。
優れたパスセンスを武器に、チーム全体の動きを高めるプレーができる選手です。
・渡邊雄太(わたなべゆうた)選手
1994年生まれ。香川県出身。2018年に日本人で2人目のNBA選手となっています。田伏選手の後押しを受けて大学時代に渡米し、主力として活躍しました。判断力を活かしたディフェンスと、シュート力やハンドリング力を武器としています。
・八村塁(はちむらるい)選手
1998年生まれ。富山県出身。日本人で初めてNBAドラフトで1巡目に指名された選手です。2020年には、NBAオールドルーキーセカンドチームに選出され、その年の優秀な新人選手に認定されています。ポイントガードからセンターまで幅広く守れると高い評価を受けています。
選手も観客も楽しめるように進化し続けている
バスケは、誕生してすぐに人気スポーツとなり、どんどん広まっていきました。今や体育の授業や部活動の定番となっていますし、全世界の競技人口は約4億5000万人で、数あるスポーツの中でもトップクラスです。
これは、ネイ・スミスが考案した当初から、どうすればより楽しめるか、安全にプレーできるかが徹底して考えられてきた証なのかもしれません。初めに定められた13項目のルールは、250項目にまで増えました。そして今でも少しずつ修正されています。選手と観客のために進化を続けるバスケ。これを機にバスケの歴史を学んでみるのもいかがでしょうか。
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