水泳の歴史は古代から?競技の起源や日本で競泳の始まり
公開日: 2023/11/30
競技として人気があるだけではなく、学校体育や習い事、レクリエーションとしても身近なスポーツである水泳。これほど普及するまでにどのような歴史を辿ったのでしょうか? この記事では、水泳の起源や、泳ぎ方の変遷、日本での競泳の始まりなどを解説します。
- 目次
- 水泳の歴史と人類の歴史は同じくらい?古代の壁画には水泳の絵が描かれていた!
- 世界で最初の水泳大会は19世紀?産業革命の時代にイギリスでスタート!
- 古代ギリシャ時代には平泳ぎの原型があった?水泳の泳ぎ方4種!
- お侍さんも武術の練習で泳いでいた?日本での水泳の広まり
- 伝統と共に進化を続けてきた水泳
水泳の歴史と人類の歴史は同じくらい?古代の壁画には水泳の絵が描かれていた!
人類は元々移動や食料採取のために、海や河川、湖、池を泳いでいました。当初は動物の動きを真似した、犬かきや平泳ぎに似ていた泳ぎ方をしていたそうです。
この生活手段としての水泳は、人類史と同じくらいの歴史があると考えられています。水泳に関する遺物があるのは古代文明以降のこと。
古代文明の壁画には水泳のような描写があり、古代ギリシャでは水泳が教育的訓練の一環として重要視されていたという記録が残されています。
世界で最初の水泳大会は19世紀?産業革命の時代にイギリスでスタート!
水泳がスポーツとして発展し始めたのは、19世紀のイギリスの産業革命の頃です。
生活にゆとりが出た人々の間で賭けレースが流行し、泳ぎの速さが求められるように。これにより、水泳の技術面に焦点が当てられ、泳法を考える人々が現れるようになりました。
また、レクリエーションや訓練の一環としての水泳に飽き足らなくなった青少年たちにより、学校対抗形式で競技が始められていきました。
世界初の公式の競泳大会が行われたのは、1837年のイギリスだといわれています。これが競泳の歴史の始まりとなりました。
1896年の第1回アテネオリンピックでは、水泳が競技種目に採用されました。それ以降1度も種目から外されていません。
当時の種目は「自由形」のみ。それ以降どんどん種目が増えていき、現在は30を超えるまでにもなっています。
1908年には、国際水泳連盟(FINA)が発足し、水泳競技の国際ルールを標準化していきました。
古代ギリシャ時代には平泳ぎの原型があった?水泳の泳ぎ方4種!
水泳の泳ぎ方は、伝統ある平泳ぎと、それを超える泳法が繰り返し編み出されることによって確立されていきました。ここでは現代の代表的な4泳法である、平泳ぎ・背泳ぎ・クロール・バタフライの生まれた歴史について解説します。
最も歴史が長いとされる「平泳ぎ」
平泳ぎは最も歴史が長い泳ぎ方で、古代ギリシャ時代にはその原型があったといわれています。
比較的手足や息継ぎの動作が簡単で習得しやすい上に、長く泳ぐ場合にも適しているので、馴染みやすい泳法だといえるでしょう。
実際、競泳が始まった当初は平泳ぎが主流でした。第1回オリンピックで採用されたのはどのような泳法も可能な「自由形」ですが、ほとんどの選手が平泳ぎで泳いでいたそうです。
アテネオリンピック後に生み出された「背泳ぎ」
アテネオリンピックのあとに、背泳ぎが生み出されました。平泳ぎより好タイムが出せるため、多くの選手が背泳ぎで大会に臨むようになりました。
しかしこのままでは平泳ぎが廃れてしまうと心配した大会主催者は、1990年の第2回パリオリンピックから背泳ぎを独立した種目にしました。
こうして、自由形(主に平泳ぎ)と、背泳ぎの2つの泳法が確立したのです。当時の背泳ぎは、現在の泳ぎ方とは少し違いました。仰向けである点は同じですが、手はバタフライのように両手を同時に動かし、足は平泳ぎのような動きでした。
現在のクロールを裏返したような泳ぎ方になったのは、1912年の第5回ストックホルムオリンピックの頃からです。アメリカの選手がこの泳ぎ方で金メダルを獲得したことから一気に広まっていきました。
第3回セントルイスオリンピックで自由形を独壇場にした「クロール」
4泳法の中で1番早く泳げるのがクロールです。現在の自由形の種目では、ほとんどの選手がクロールを泳ぎます。これはクロールが速いことの裏付けといえるでしょう。
クロールが生まれたのは、パリオリンピックのあとのことです。
左右交互に腕を回して水面の上に出す「トラジオン・ストローク」という腕のかき方とバタ足を組み合わせ、クロールの形が作られていきました。
クロールはすぐに自由形の主流になりました。そこで、伝統ある平泳ぎを守るため、第3回セントルイスオリンピックから平泳ぎが独立した種目になりました。
そして、自由形はクロールの独壇場になりました。
平泳ぎから発展した「バタフライ」
当時の平泳ぎ定義は「うつ伏せで両手両足の動きが対称であること」だけでした。そこで、1928年の第9回アムステルダムオリンピックで、ドイツの選手がバタフライに近い動きを取り入れたのがバタフライの始まりです。
その後、このバタフライ式平泳ぎに、日本人が考案したドルフィンキックを組み合わせた泳ぎ方が平泳ぎの主流になっていきます。
その結果、古くから存在していた平泳ぎの型はまたもや消滅の危機にさらされます。そこで1956年第16回メルボルンオリンピックから、バタフライが独立した種目になりました。
現在はクロールが最速だといわれています。しかし近年「ドルフィンクロール」という泳ぎ方が生み出されたように、今後も泳速を求めて新しい泳ぎ方が生まれる可能性は十分にあります。自由形という種目がある限り、泳法の歴史は書き換えられていくかもしれません。
お侍さんも武術の練習で泳いでいた?日本での水泳の広まり
海や河川が多い日本では、昔から泳ぐという行為はなじみ深いものでした。
貝塚などの遺跡からは、縄文時代以前から人々が水に入って魚介類などを採取していたことが推察できますし、万葉集の中には海女さんが水に潜ってアワビを獲っていることを詠んだ和歌も残されています。
日本で泳ぎの技術が求められるようになったのは、戦国時代だといわれています。
戦場で泳ぎが必要になる場面もあるため、武術の一種としてさまざまな泳法(日本泳法)や流派が生まれました。また、江戸時代の藩校では、学問や剣術に加えて水泳が教えられていました。水泳は重要な嗜みであったといえます。
しかしこれまでの時代は、競技としてではなく、あくまでも生きるための手段や生活の手段、軍事目的のために生まれたものでした。
競泳が浸透するのは明治維新以降のことです。西洋文化と共にスポーツとしての水泳が国内に入ってきたのがきっかけでした。
日本初の全国大会は、1914年に現在の東京都大田区で開催されています。初めてオリンピックの水泳競技に参加したのは、1920年の第7回アントワープ大会。1924年には日本水泳連盟(JASF)の前身組織である「大日本水上競技連盟」が発足するなど、競泳は日本でも次第に定着していきました。
伝統と共に進化を続けてきた水泳
オリンピックや世界水泳などの多くの国際競技大会もある水泳ですが、その起源は生活のために身に付けた動きでした。
人類が生きていくために欠かせない能力だったともいえます。
そこから、伝統の泳ぎを守りながらも泳ぐ能力を進化させ、今の競泳の形を作っていきました。
水泳を楽しむ際には、ぜひ今回紹介した水泳の歴史にも思いを馳せてみてください。
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